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■2002年小展示室企画 ヒラノ空想動物苑■

この度当館では小展示室企画展ー美術の中のどうぶつたち「ヒラノ空想動物苑」を開催いたします。動物たちの姿は、古くからさまざまな美術作品に中で表されてきました。今回は展示室を「動物園」に見立て、分類をし直し、いつもとは違った美術館体験を促そうとするものです。開催期間が夏休みと重なる為、親子で楽しむ美術館としてもご利用いただきたく、この展覧会が美術に親しむきっかけとなりましたら幸いです。なお幅20.5mの大壁画「秋田の行事」を含む藤田嗣治作品76点もご覧いただけます。皆様お誘いあわせの上、ご来館くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

1 日程 平成14年7月16日(火)ー平成14年9月29日
2 開館時間 午前10時ー午後5時半
(入館は5時まで)
3 観覧料 一般610円 大・高200円 中・小100円(こちらの観覧料で常設展示もご覧いただけます)

作品目録
※陳列期間は以下のとおりです。
A 平成14年7月16日(火)〜平成14年9月29日(日)
B 平成14年7月16日(火)〜平成14年8月28日(水)
C 平成14年8月29日(木)〜平成14年9月29日(日)

作 品 名  作 者  生 没 年    材質 技法    所 蔵                陳列期間
1 孔雀に牡丹 沈 南 蘋 1682−1760頃    絹本著色 軸装  (財)平野政吉美術館 蔵 
ABC
2 花 鳥   宋 紫 石 1715−1786     絹本著色 軸装対幅(財)平野政吉美術館 蔵 ABC
3 鸚鵡之図  佐竹 曙山 1748−1785     紙本著色 軸装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
4 桜に小禽  佐竹 義躬 1749−1800     絹本著色 軸装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
5 花と燕   佐竹 義躬 1749−1800     絹本著色 軸装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
6 花 鳥   佐竹 義躬 1749−1800     絹本著色 装軸対幅(財)平野政吉美術館 蔵 ABC
7 雪中水禽図 司馬 江漢 1747−1818     絹本著色 装軸  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
8 紅毛人牧羊図 亜欧堂田善1748−1822     銅版画  額装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
9 馬の図   後藤 貞行 1849−1903     紙本著色 軸装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
10 刺青見本図 彫 千 代 明治時代       絹本著色 額装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
11 刺青見本図 彫 千 代 明治時代       絹本著色 額装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
12 小町娘   熊沢喜太郎 明治時代       石版画  額装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
13 牡丹斑鳩図 銭   選 1235頃ー1301以後  絹本著色 軸装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
14 猟馬図   趙 孟   1254−1322     絹本著色 軸装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
15 杜子美   梁   楷 南宋中期       紙本著色 軸装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
16 前阿育王山比丘 牧 谿 宋末〜元初      紙本著色 軸装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
17 鯉の滝昇  能代 斐文 江戸中期       絹本著色 軸装  (財)平野政吉美術館 蔵 ABC
18 乳 虎   平福 穂庵 1844−1890     絹本著色 軸装   秋田県立近代美術館 蔵 AB
19 恵比須   平福 穂庵 1844−1890     絹本著色 軸装   秋田県立近代美術館 蔵 AB
20 象     倉田 松濤 1865−1928     紙本墨画 軸装   秋田県立近代美術館 蔵 AB
21 不老富貴図 結城 素明 1875−1957     絹本著色 軸装対幅 秋田県立近代美術館 蔵 AB
22 鵜     川端 龍子 1885−1966     絹本著色 軸装   秋田県立近代美術館 蔵 AB
23 獣戯図   平福 百穂 1877−1933     紙本著色墨画 屏風 秋田県立近代美術館 蔵   C
                         (六曲一双)

※作品番号は展覧会での陳列番号と一致しますが、陳列の順序とは必ずしも一致しません。
※期間中都合により、展示作品を変更する場合があります。

おもな作家紹介

沈南蘋(しんなんぴん) (1682〜1760頃)
 中国清朝、18世紀前半の画家。名は詮、字は衡之。浙江省呉興の人。亨保16年(1731)に来日、同18年に帰国。帰国後も、対日輸出ルートにのって作品を送り続けた。南蘋の濃彩による写生画風は、南蘋派という一派を形成させるとともに、江戸時代を通じ画壇全般に無視できない影響を及ぼした。

宋紫石(そうしせき) 正徳5〜天明6(1715―1786)
 江戸中期の南蘋派の画家。姓は楠本、名は幸八、字は君赫、号は雪渓、霞亨。江戸に生まれる。長崎で熊斐から南蘋風花鳥画を学び、さらに来日中の清人、宋紫岩に画法を学び、江戸に帰ってのち宋紫石と中国風に名を改めた。西洋画法にも関心を持つ。

佐竹曙山(さたけしょざん) 寛延元―天明5(1748−1785)
 秋田藩第7代藩主佐竹義明の長子として江戸浜町の藩邸に生まれる。幼名を秀丸、初名を義直、後に義敦と改める。次郎と称し、孔雲、曙山と号した。11歳で第8代藩主、18歳で入府。はじめ狩野派を学ぶが、小田野直武に平賀源内のもとで西洋画を学ばせ、自らも直武から羊風画学ぶ。また熊本藩主細川重賢ら蘭癖大名たちと交流、写生帖をつくる。この中には日本最初の西洋画論「画法綱領」「画図理解」がおさめれている。

佐竹義躬(さたけよしみ) 寛延2−寛政12(1749−1800)
 角館城代の佐竹義邦の長子として角館に生まれる。名は義寛、のちに義躬と改めた。字は通大。雪松、一謙亭、小松山人などと号した。父義邦が芸文を好み、特に俳諧に長じたといい、その影響もあり、幼少より様々な素養を身につけた教養人であった。義躬は直武から直接洋風画法を学んだ。

司馬江漢(しばこうかん) 延亨4−文政元(1747−1818)
 名は峻、字は君嶽、号は不言道人、春波楼など。江戸の人。初め狩野派、次いで宋紫石から南蘋派を学ぶ。鈴木春信の偽版を作り、一時鈴木春信と称し浮世絵美人画も描いた。安永年間(1772−81)に平賀源内、小田野直哉の刺戟を受けて洋風画に転向。天明3年(1783)日本最初のエッチングの制作に成功し、油絵も描く。同8年長崎遊学。寛政年間(1789−1801)を中心に多数の洋風画を制作。また、天文学、地理学など西洋自然科学を紹介し、晩年には進歩的な哲学者、社会思想として「春波楼筆記」などのすぐれた随筆を書いた。

亜欧堂田善(あおうどうでんぜん) 寛延元−文政5(1748−1822)
 岩代国須賀川(福島県須賀川市)の農機具商 永田惣四郎の次男として生まれる。本名永田義吉、「田善」この姓名を略したものである。白川城主、松平定信に見出され、谷文晁の弟子とされ、49才の時、正式に白川公の御用絵師となる。許されて長崎に4年間遊学し、洋風画、銅版技法を学び、公の命で押絵、写生図等つくる。特に銅版画による外国地図の模刻に巧みであった為、亜欧堂の号を与えられた。

銭選(せんせん) (1235頃−1301以後)
 中国、宋末元初の画家。字は舜挙、号は玉潭、巽峯、清癨老人、習嬾翁、 川翁など。呉興(浙江省)の人。宋滅亡後は官途につかなかった。元初、趙孟 らとともにモ呉興八俊モと称されたが、在野の文人として終った。詩書画ともに巧み、ことに人物・山水・花鳥画を善くし、それぞれ李公麟、趙令穣、趙昌を師とし、また青緑山水は趙伯駒を師としたといわれ、元代復古主義の一翼を担った。山水画では青緑を主調とした色彩本意の作品を制作、花鳥画では極度に写実性を追求した。

趙孟 (ちょうもうふ) (1254−1322)
 中国、元代の官僚、書画家。字は子昴、号は松雪道人。呉興(浙江省)の人。宋の太祖第4子秦王徳芳の子孫で、太祖11代の孫にあたる。至元23年(1286)、世祖(忽必烈)が江南に人材を求めた際、“呉興八俊”の筆頭として推薦され、以後5代の皇帝に歴仕した。歿後、魏国公を追放されて文敏と諡された。詩文は清邃奇逸の趣があり、書画ともに元代随一といわれる。書においては篆籀・分隷・真・行・草各体の書に通じ、とりわけ王羲之への復帰に努め、その書風は以後の時代および朝鮮・日本にまで影響を与えた。

梁楷(りょうかい)
 南宋中期の画院画家。東平(山東省)の人。嘉秦年間(1201−04)に画院の待詔となり、金帯を賜ったが、無視して画院内に掛け放しにしたという。大いに酒を楽しみ、禅僧と交遊するなど、常軌を逸したところがあり、梁風子(狂人の意)と呼ばれた。人物、山水、道釈、鬼神を巧みにし、作品には謹質な院体画と、賈師古に学んだ白画に唐末以来の逸品的水墨画風を融合させた減筆体の人物画と、范寛の影響を示す山水画とがある。

牧谿(もっけい)
 中国、宋末元初(13世紀後半)の禅僧、画家。法諱は法常、牧谿は号である。蜀(四川省)の人。同郷の禅僧無準師範の弟子で、西湖湖畔の六通寺の開山となったという。生涯の大半を浙江地方で過し、この地方の文人たちとの交流があった。水墨で竜虎、猿鶴、禽鳥、山水、樹石、人物などの幅広い画題を画き、禅余画家とはみなせない画技の高さが認められる。

平福穂庵(ひらふくすいあん) 弘化元−明治23(1844−1890)
 1844年10月18日秋田県仙北郡角館町に生まれる。名を芸、通称順蔵。はじめは絵に親しむ父から、次に円山四条派の描き手として知られていた父の師武村分梅から本格的に絵を学んだ。藩校「明徳館」に通ったのち、京都に遊学。
 明治13年第3回秋田県博覧会に「乞食」を出品、1等を受賞し注目される。明治23年には第3回内国博覧会で「乳虎」が妙技2等賞を受け、中央画壇で確固たる地位を築く。

平福百穂(ひらふくひゃくすい) 明治10−昭和8(1877−1933)
 1877年12月28日秋田県仙北郡角館町横町に穂庵の第4子として誕生。川端玉章に学ぶ傍ら、日本美術学校日本画科選科を卒業。結城素明らとともに絵画における自然主義、写実主義を主唱。大正6年「豫讓」が文展特選。帝国美術院会員。東京美校教授。アララギ派の歌人でも知られ、歌集「寒竹」がある。

倉田松濤(くらたしょうとう) 慶応元−昭和3(1865−1928)
 本名斧太郎。倉田家は秋田県仙北郡横沢村(現太田町)の出身で豪農であったという。若くして平福穂庵に師事したとされる。雅号は松濤のほか、百三談画房主人、餓鬼大将、来世菩薩、耄碌先生など。

結城素明(ゆうきそめい) 明治8−昭和32(1875−1957)
 東京生まれ。川端玉章入門。東京美術学校日本画科卒業後、同校西洋画科に再入学。自然主義を標榜し、无声会を結成、また金鈴会を創立した。文展、帝展で活躍、早くから日本画に洋画の手法を導入した。大正14年帝国美術院会員、のち帝国芸術院会員、日本芸術院会員。

川端龍子(かわばたりゅうし) 明治18−昭和41(1885−1966)
 和歌山に生まれ、東京で没。はじめ、白馬会絵画研究所や太平洋画会研究所(→太平洋美術学校)で洋画を学んだが、大正2年(1913)アメリカを巡遊、帰国後は日本画に転じ、无声会や珊瑚会会員となった。のち再興日本美術院に所属し斬新な作風で知られた。昭和3年(1928)同人を辞し、翌年青龍社を興して流動感ある豪放な筆致の大作を描いた。同34年文化勲章受賞。同37年東京大森に自作を常時陳列する龍子記念館を建てた。